浜松市佐久間町のフィフティーズな床屋 乗本和男のブログ

フィフティーズ大好きな床屋の店主です。円満家族のお手伝いをする床屋です。

じいじの口癖

こんにちは。

 

夜中の雨のおかげなのか、何なのか?

今日は、朝からさほど寒さを感じず暖かいですね。

 

浜松市佐久間町の理容師  乗本和男です。

 

今日も、昨日に引き続き僕の家の事を少しお話ししたいと思います。

 

え~と、あの僕は、祖父の事を、じいじ と呼んでいたので、ここではそう呼ばせて頂きますね。

 

お店をこの土地でじいじが開業したのが約70年弱になります。

初めは、同じ佐久間町の中部(なかべ)と言う所に仮店舗をオープンしたわけです。

 

元々僕のじいじは浜松市引佐町金指の出身で苗字は斎藤でした。、じいじのお姉さんがここ浦川に嫁いでいた関係で、浦川にある万竜件と言う床屋さんで職人をしていたんです。

 

しかし、仕事に関しては職人ですので厳しくまじめだったのですが、仕事が終わると芸者置き屋(芸者や、遊女を抱いている家のことで、料亭や飲み屋さんなどの客の求めに応じて芸者や遊女を指し向けるとこです。今で言うコンパニオン派遣会社かな?)

 

に潜り込んでは、芸者の方と夜な夜な遊びほうけてみたいなんです。当時は、職人なんて言うと仕事は厳しく遊びは激しくと、かなりの遊び人が多かったみたいですね。

 

それを見て聞いていた、じいじの姉が、これじゃじいじがだめになると思い結婚させたんです。その相手が、中部という所に住んでいた乗本家の娘で、僕の祖母でした。

 

祖母も養女でして、実は、乗本家には血の繋がりがない、もらい合わせの結婚でした。

 

それから、半場の中部天竜と言う駅の近くにお店を移した。当時は、佐久間ダムの建設ラッシュでしたので、今で言うゼネコンが何社入っていて賑く職人の方も大勢いたので、一時期はよかったのですが、

 

この先、佐久間ダム工事の仕事が終われば、人もいなくなりだめになるだろうとじいじは考えていたみたいなんです。

 

それなら床屋を始めたこの浦川で本格的に腰を落ち着けてやろうと思い、浦川駅前に本格的に乗本理容所(当時の屋号です)を開店することにしたんですね。

 

元々、浦川と言う町は、秋葉街道(塩の道)の宿場町で、先ほど書いた芸者置き屋や映画館、当時田舎にはあまりなかったビリヤード場があったぐらい田舎の中の都会でしたから(笑)そこにも目を付けたのでしょうね。

 

浦川の駅前に店を出して、家族3人と従業員を3人使い、6人で忙しくやってたみたいですから、じいじの目に狂いがなかったと思います。(笑)

修行時代からここに住んで、多くの友人を作った浦川だからこそ

出店を決めたんです。浦川の人達との関係性が良かったのでしょうね。

 

そしていつもじいじは、 

 

人には騙されてもいいが、騙してはダメだぞ

 

と言ってました。

 

この、言葉も自信になって出店したかもしれません。

 

またこんな事も言ってました。 酒は飲んでも飲まれるな と!

 

もちろん、酒に飲まれながらね。(笑)

 

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最後まで読んで頂きありがとうございました。