秘境の駅で有名なJR飯田線になる前「三信鉄道」の苦難
こんにちは〜。
今日は昨日と打って変わって、寒さが戻り雨が降っています。
スギ花粉症には、飛散が少ないので楽に暮らせていいかなって、花粉症になってない人は思うかもしれませんが、雨の日なのになぜか目と鼻に刺激がよく来るんです。
晴れの日も雨の日もどちらの日もスギ花粉が飛散する時期は良くないんですね。
さてさて今日は、秘境の駅でツアーにも組まれているJR飯田線の成り立ちについて書きますね。
☑飯田線になる前の鉄道
JR飯田線は、昭和18年まで四つの私鉄に分かれていたんです。
豊橋の方から「豊橋鉄道」「鳳来寺鉄道」「三信鉄道」「伊那電気鉄道」がそれぞれの場所で電車を走らせて運営してたんですね。ここ佐久間町は、「三信鉄道」の営業区間だったんです。
それから、昭和18年にこれらの4社が、旧国鉄に買収され、今の飯田線になったんです。
JR飯田線の佐久間区間である「三信鉄道」は、歴史に残るとてつもない難工事だったみたいなんですね。
実は、この「三信鉄道」という名前は、仕事がら年配のお客さんから聞いたことあるかな?ぐらいの認識しかなかったんですが、Facebookで久しぶりに出会った高校のときの後輩の子が、この「三信鉄道」のことブログに書いていたんです。
はじめは正直たいして興味がなかったんですが、その子の伝えたいという一生懸命さに惹かれて「三信鉄道」のこと調べてみたいなって思いました。
その子が「三信鉄道」を作るときに命がけで測量をしてくれた、アイヌ人の「カネト」という鉄道測量技師の生き様を演劇で伝えている合唱劇団「カネト」を応援しているんですね。
この「カネト」という鉄道測量士が素晴らしい心の持ち主なんですよ。
☑三信鉄道を作った男「川村カネト」
川村カネトは、アイヌの生まれで小さいときに鉄道に憧れ、学校を卒業してから測量人夫として働き、色々な本土(日本人)に差別的なことをされても自分の信念のために頑張って測量技術を磨いた人です。
北海道で「北海道鉄道」を作るときに測量をして成功させ実績を作リました。
その実績が認められ、荒々しい地形で、岩盤が崩れやすい中央構造線に沿った未開の山間を命がけで測量して、地形が厳しい上に軟弱な地質で水害など悪条件が重なる工事を完成させた人なんです。
戦前の工事ということもあり、アイヌ人に対しての人種的な差別なんかがあったんですよね。
でもそんな人種差別で、迫害を受けたり殺されそうになっても、自分が信じたことや自分の信念の為に、本土の日本人ができなかった険しい「三信鉄道」の測量を成功させ、この飯田線を一本の線路で繋げる為に命をかけてくれたのです。
「川村カネト」という鉄道測量技師に出会い、人間とは何の為に生きているのか、自分の信念とはどういうものなのかということを改めて考えさせられた気がしました。
もしチャンスがあったら「合唱劇カネト」を見られるといいと思います。
きっと自分の信念の持ち方が変わるかもしれませんよ。
それでは、また〜。