浜松市佐久間町のフィフティーズな床屋 乗本和男のブログ

フィフティーズ大好きな床屋の店主です。円満家族のお手伝いをする床屋です。

早く鳴ってほしいなー。JR飯田線浦川駅の踏切の「カンカンカン」はボクの目覚まし時計なんだもん。

 

こんにちはー。

浜松市佐久間町の理容師 乗本和男です。

今月の4月18日に起きたJR飯田線の土砂崩れのため、未だ開通してない状況で学生や年寄りの生活を不便にしているんですよね。

JRの方も復旧に向けて夜通し休まず工事をしてくれているですが、思っている以上に土砂の量が多いのか、本当は今日にでも通れるようなことを言ってましたがまだ少しかかりそうです。

そんな飯田線はボクにとってはある意味、走る目覚まし時計なんですよね。

JR浦川駅はボクの遊び場だった

ボクの家は浦川駅から徒歩1分くらい(駅前)にあります。

そのおかげで小さい時からボクの遊び場でした。

まだボクが小さい頃、JRも国鉄だったんですよ(高校まで国鉄でした)そして当時駅には当直室や横には官舎そして浦川駅は貨物の車庫でもあったんです。

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ですから多いときには駅長を含めて5人ぐらいの駅員さんがいたんですよね。

浦川には学校や会社もいくつかあり、町全体が大きなマーケットのように商店で埋め尽くされていたんですよ。

まだまだ車社会でなかったので、電車を使う人がいっぱいいたんですよね。

そんな浦川駅に隠居したボクのおじいちゃんが入り浸りしてまして、当時はよく「お座敷電車」というものが流行っていたんです。

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そのお座敷電車の常連のおじいちゃんは、必ず小さいボクを連れて駅に遊びに行っていたんですよね。

だから小さいときには全く関係ないのに駅員のおじさんと遊んだり、駅の中で遊んだり官舎の周りで遊んだりして、飯田線とは凄く親しい思い出があるんです。

昔は賑やかかった飯田線

そんな飯田線もボクが高校の頃までは、朝8時豊橋行きの急行に浦川駅から乗ると、超満員でトイレの前に立って乗っていくくらいだったんですよ。

そんな賑やかい電車も国鉄からJRに変わってから、電車の本数も少なくなってしまい、気がついたら昼間なんかは3時間に一本ぐらいになってしまいました。

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そうなると使う人も不便なんですよねー、だんだんと利用者も少なくなって行ったんです。

そんな風になってから起きた土砂崩れ、たまたま原田橋仮設道路が使えない期間が重なりどちらも使えないということでもっと不便になったんです。

それにボクにはとても不都合なことも起きてしまってるんですよ。

朝一の遮断機の音はボクの目覚まし時計

それはJR飯田線の下り朝一番の電車(5時33分)が来ると駅の踏切が「カンカン」と高い音で鳴るんですが、その踏切が鳴る時間がいつものボクの起床の時間なんですよね。

いいでしょー、いつも電車に起こしてもらってるんですよ。

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だけどもう1週間もの間「カンカンカン」という踏切の音に起こしてもらっていません。

1日でも早くあの「カンカンカン」という踏切の音で、起こされたいなって思いました。

最近の話では5月1日以降に開通する予定みたいです。