世の中にある「言い伝えや迷信」って実はちゃんとした大事な意味があったんですね。
おばあちゃん子
ボクの家は今でこそ3人しか住んでいませんが、ボクが小さい頃から最近まで普通に7人ぐらいの三世帯で住んでたんです。
そして両親が床屋をやっていたので、いつもボクの守りをしてくれたのがおばあちゃんとおじいちゃんでした
年寄りに育てられるとどうしてもやることや好きなものが、まだ子供なのに年寄りくさくなってしまうんですよね。
だから食べ物にしても、若いお母さんが作る料理ではなく年寄りが作った料理に慣れてしまい、そのものが好きなってしまったんですよ。
好きなものは煮物がメインになってしまいます。
年寄りから学ぶ大事なもの
今でこそ50歳という年齢になってしまったので、煮物は大好きなんですが、子供の頃から好きで食べているってやっぱり年寄りに育てられたからだと思うんです。
そんな環境だからこそ色々と年寄りの知識や常識を知らない間に学んで来たのかなって考えているんですよね。
その中でもボクが1番感じているもの中に「言い伝えとか、迷信とか」そんなものが頭から離れなくなっているんです。
小さい時におばあちゃんといつも寝ていたボク。
おばあちゃんが毎日のように朝起きる前に、ボクの耳元でこうやって囁くんです「寝るほど楽な世の中に起きて働くバカもおる」こんなことを毎日のように耳元で囁かれると、起きるのやめようかななんて考えてしまいますよね
この元は「寝るより楽はなかりけり浮世の馬鹿は起きて働く」とう江戸時代の狂歌みたいなんですね。年月を重ねて今風にアレンジして来たのだと思うんです。
でもこんな面白い言葉を伝えていったり、人としてのルールやマナーを生活の中で教えてもらえて来たんだなって感じているんですよ。
迷信や言い伝えは大事な日本人としての知識
若い頃は迷信とか言い伝えにも少し疎くなるというか、そんなもの気にしてはいれない時もありました。
ただそれはなぜそう言ったことを伝えているのか、ということを考えていなかったからなんですよね。この歳になり始めてその意味の大事さや、すばらしさを考えるこができりるようになったんです。
例えば「新しい靴を夜おろしてはいけない」って迷信があります。この意味はこんな感じなんです。
昔は新しい履物を履かせて夜玄関から出すのは死人だけだったから。
靴に限らず新しいものはまず神様に供えるものだったので、神棚の灯明を消したあとの夜にこっそり新しい物を使うとバチがあたる、という考えがあるので、どうしても新しい物をおろす時は、一部を少し汚してからにするといい、とされている。
夜に新しい履物を履く=夜遠出すること自体が縁起が良くなかった。
「夜に爪を切ってはいけない 」と今でも言われています。これもこんな意味があるんですよ。
「夜爪を切ると親の死に目に会えない」と聞きました。
これはどういう事かと言うと、夜爪を切る=世詰めという事になり、親より早く自分が亡くなるという事を意味するんですよね。
世を詰めるということは早死にするといことなんです。親より早く自分の方があちらの世界へ行ってしまえば、親の死に目に会えませんからね。
今でも親に言われたり自分で思い出して気をつけてることが多いけど、こう言った迷信や言い伝えを守っていくことで、日本人としてのルールやマナーも少しずつ学んでいけるのかなって思いました。
それではまたー。