昔の思い出っていつまでも大事なものですね。いつもボクの味方で大好きだったおばあちゃんのこと書いてみました。
こんにちはー。
今日は天気も良く暖かけば嬉しいんですが、残念ながら寒いに決まっていますよね。この寒さに早く慣れないと、年末の仕事を頑張って過ごせないかもしれません。風邪とインフルに要注意です。
ボクの出生
さてさて、今日はボクの子供の時のこと書いてみたいなって思います。乗本毛の嫡男として昭和42年の9月9日に生まれました。乗本毛では後継としての男の子が生まれるのは初めてだったんです。
おじいちゃんも養子ですし、父親も養子なんですよね。ですから初めての男の子だったから小さい時からやたら可愛がってもらった記憶がります。特におじちゃんには可愛がってもらいました。
おじいちゃんにも男の子いたらしいのですが、小さい時に病気で亡くなっているんですよね。跡取りとしての男の子がいなかったんです。それで長女のボクの母親に養子(ボクの父親)をとらせて跡を継がせたんですよ。
そして待望のボクが産まれたということなんです。
子供の頃のボク
産まれたのはいいのですが、ボクの家は床屋です。商売をやっていて店も当時すごく忙しかったんですよね。もちろん父親と母親の二人はずっと仕事ばっかでした。ですから一緒に遊んでもらったという記憶があまりないんです。
でもその代わりにおじいちゃんとおばあちゃんには、いつも一緒にどこでも連れて行ってもらいました。それに孫が可愛くてしょうがないので怒らないし、ほしいものはなんでも買ってくたから、おじいちゃんおばあちゃん子にすぐなりましたね。
そして夜になっても店が忙しく終わるのが遅かったので、ボクはいつもご飯を食べて寝るのはおじいちゃんおばあちゃんと一緒だったんです。成人になり同じ商売をやってるからこそ両親の気持ちがわかるのですが、子供の頃はなんか寂しい感じがずっとしてました。
恥ずかしながらボクは小学校5年生まで、おばあちゃんと一緒にお風呂に入り一緒の布団で寝てました。小さい時からそれが当たり前だったので何も気にならなかったんですよね。
2・3歳の時にもいつもおばあちゃんと寝ていたので、たまには母親と一緒に寝ることがあっても、まるでどこかのおばさんと寝ている感じがして気になり、全く寝れませんでした。
大好きだったおばあちゃん
そのくらい両親と接することが少なかったです。それに3年後には弟が生まれたので、そちらの方に目がいってボクの面倒はいつもおばあちゃんになりました。
そのあばあちゃんには学生なってからもいっぱい面倒をかけましたね。両親に相談するより話しやすかったのし、両親は相変わらず忙しかったので話したこともなかったですしね。
そんなことをいいことに毎晩のように夜遅く部屋を抜け出し、朝帰りしたりして遊んでいたのでおばあちゃんが心配していたんですよ。おばあちゃんがいつも言ってました「和男が親に見つかっちゃいけないから、わたしゃーいっつも心配して寝れんかったやー」って。
本当にいっぱい可愛がってもらい、いっぱい心配をかけたおばあちゃん。
今日はそのおばあちゃんの7回忌でした。今日は大好きだったおばあちゃんとのことをいっぱい思い出した楽しい一日になりました。